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【死去】モハメド・アリの生い立ち・偉業をまとめてみました【追悼】

投稿日:2016年6月4日 更新日:

 

モハメド・アリ

プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリが3日、米アリゾナ州の病院で死去しました。74歳でした。

「チョウのように舞い、ハチのように刺す」

この形容の如く、ボクシングリング内では異様な強さを誇り、史上初めて3度王座を獲得したヘビー級ボクサーとなりました。

また、リング外でも差別や戦争と戦った人徳者としても有名です。

バキ アライ出典:バキ

男子の聖典「刀牙」でも、アリをモデルにした「マホメド・アライ」はあの範馬 勇次郎にリスペクトされるなど、明らかに別格の扱いを受けていました。

アリとビートルズ

さて、今回はこの偉大なチャンピオンの生い立ちや活躍を掻い摘んで紹介していきたいと思います。

ではでは、どうぞ!

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生い立ち

誕生

1942年1月17日にアメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルで、カシアス・マーセラス・クレイとして生まれました。

一般的に知られているモハメド・アリの名は、ムスリムとしての名前。

1964年にWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに勝利したのをきっかけに改名するまでは本名はこの「カシアス・クレイ」でした。

ボクシングとの出会い

彼は小学生の頃、父親から誕生日にプレゼントにもらった自転車を宝物にしていました。

ところが、ある日誰かにこの自転車を盗まれてしまう。

警察にいった時、アリに対応した警官がボクシングジムのトレーナーもしており、彼に犯人に鉄拳制裁を加えるという意味でボクシングを勧めました。

これが、モハメド・アリがボクシングを始めたキッカケになります。

アマチュア時代

ジムに入門後、アリは8週間でアマチュアボクサーとしてデビューした。

その後、

・ケンタッキー州ゴールデングローブで6度優勝

・全米ゴールデングローブのミドル級で2年連続優勝

・AAU ボクシング競技のライトヘビー級でも2年連続優勝

を果たす。

そして、1960年9月に開催されたローマオリンピックボクシング競技(ライトヘビー級)に出場します。

前年度ヨーロッパチャンピオンのポーランドのズビグニェフ・ピトロシュコスキーを判定で破って優勝。

オリンピック金メダリストになります。

プロ時代

1960年10月29日、プロデビュー。

1964年2月25日、ソニー・リストンに7回TKO勝ちでWBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得。

1967年に9度の王座防衛の後、兵役拒否のためWBA世界ヘビー級王座とボクサーライセンスを剥奪。

猪木戦出典:林檎舎

1970年、世界ヘビー級1位、ジェリー・クォーリーと3年7か月ぶりの試合を行い、3回TKO勝ちして再起を果たした。

1974年10月30日、ジョージ・フォアマンに8回KO勝ちでWBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得。

1978年2月15日、レオン・スピンクスに判定負けして王座を失うまで10度の防衛に成功。

1978年9月15日、レオン・スピンクスに判定勝ちし、WBA世界ヘビー級王座を奪回(3度目の返り咲き)

1981年12月11日、トレバー・バービックに判定負けし、遂に引退。

生涯成績

プロ通算戦績
56勝(37KO)5敗

アマチュア(カシアス・クレイ)通算戦績
108勝8敗

リング内での戦い

蝶のように舞い、蜂のように刺す 

鈍重な大男の力任せな殴り合いだったヘビー級ボクシングに、アリは蝶のように華麗なフットワークと、蜂のように鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込みました。

 

「俺はのように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう」

の名台詞が象徴するように、リングで倒されたままのKO負けは一度もありません。

ヘビー級史上最速の一人

アリが持つのは蝶のような軽やかなフットワークだけではありません。

なんとジャブに右ストレートでカウンターを合わせる離れ業をやってのけるパンチのスピードも持っていました。

王者決定戦を舐めプレイで圧勝

最初に世界王座を獲得した時の2度目の防衛戦でフロイド・パターソンと戦った時。

反イスラム的な時勢に乗ったパターソンは「タイトルをアメリカに戻す」と発言。

それを聞いたアリは失望し、試合ではあえて決定的な強打を打たずパターソンを痛めつけ続けた。

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1967年には、WBA世界ヘビー級王者アーニー・テレルと対戦。

アーニーは試合前わざとアリの旧名であるカシアス・クレイと呼んで挑発。

当時アリが入信していたネーション・オブ・イスラムではほとんどのアフリカ系アメリカ人が持つ名前を、奴隷主に付けられた名として否定的に見る面がありました。

これに怒ったアリは試合を完全にコントロールしたどころかわざと決定打を打たず

「俺の名前を言ってみろ!」

と叫び続けて完全に打ちのめし判定勝利します。

試合後アリは「やつは早く楽になりたかったろうな。奴隷の名前で俺を呼んだ罰だ」

と、コメントしました。

どちらのケースも圧倒的な力量差がなせる技でありますね・・・

リング外での闘い

川に投げ捨てられたオリンピック金メダル

金メダルを獲得したアリ出典:CNN.CO.JP - 小父さんから

1960年のローマオリンピックで金メダルを取り、得意満面で帰国した18歳の青年アリは故郷のケンタッキー州に戻り白人専用レストランに入店しようとしました。

しかし、店のオーナーは言います。

「ダメなもんはダメだ。」

帰り道、入店拒否に失望したアリは

「こんなものは役に立たない」

と、人種差別に対する非難を込めて金メダルを川に投げ捨てたそうです。

ベトナム戦争懲役拒否

懲役拒否出典:今日は何の日 -Today Watch-

「ベトコンはオレを”ニガー”と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない」

泥沼化するベトナム戦争に対し、アリは良心的兵役拒否(宗教の信条や政治的、哲学的な背景に基づく兵役拒否)を行いました。

それに対し、最初の裁判で禁固5年と罰金1万ドルを科せられ、ヘビー級王座とボクサーライセンスも剥奪されました。

アリは、その後も信念を曲げずに平和のために戦い続け、4年後の1971年に最高裁判所で無罪を勝ち取りました。

これらの功績からドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞。

終わりに

以上でモハメド・アリの紹介を終わります。

リングの中でボクサーと戦うだけでは無く、リングの外でも差別や国と戦った男。

そんな偉大なるウォーリアを僕は一生忘れない。

モハメド・アリよ。安らかに眠り給え。

by.ひだりゅー

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