どうも、石橋をハンマーで叩き割る漢・ひだりゅー(@dakahi3776)です。
日本橋、新橋、板橋・・・
不思議なことに東京には川がないのに橋の名前がつく地名がたくさんあります。
その理由は、皆さんも知るあの出来事がキッカケとなっていました。
東京23区内で「橋」の付く地名一覧
※区はあいうえお順
足立区 | 千住橋戸町 |
板橋区 | 板橋、上板橋、中板橋 |
北区 | 扇橋、新大橋、高橋 |
墨田区 | 吾妻橋、江東橋 |
世田谷区 | 船橋 |
台東区 | 浅草橋、橋場、柳橋 |
中央区 | 日本橋(日本橋〇〇と付く地名は19あり)、東日本橋、京橋 |
千代田区 | 飯田橋、一ツ橋 |
港区 | 新橋、東新橋、西新橋 |
目黒区 | 大橋 |
これらはあくまでも郵便番号での区域の一覧で、他にも駅名などで「橋」の付く場所はいくつかあります。
(水道橋、竹橋、赤羽橋など)
こうして見てみると、少なくとも僕がかつて住んでいた場所に比べ、〇〇橋という地名は圧倒的に多いですね。
東京に「橋」のつく地名が多い意外な理由
昭和初期まで、東京は今よりも多くの川が流れる水の都でした。
ですが、その多くは今では姿形を消し、地名にその痕跡を残すだけとなってしまいました。
なぜ川は消えてしまったのか?
それは、第二次世界大戦後のガレキ処理で埋め立てられてしまったからです。
<画像出典>Wikipedia
終戦後、3000万m3といわれる膨大な瓦礫の処理は、復興のためにも重大な問題となっていました。
GHQからは早く撤去しろと急かされますが、時は戦後の混乱期。
持っていく場所がなければ、持っていく方法・手段もありません。
そこで当時、東京都の建設局長だった石川栄耀が川を埋めることで瓦礫処理をするというアイデアを提案。
今の御時世ならば、「環境破壊だぁ!」と非難轟々でしょうが、当時の安井都知事は、「なんて良いアイデアだ」と賞賛。
1947年(昭和22)、安井都知事が不用河川埋立事業計画を発表。
この計画で
・東京駅八重洲口にあった外濠
・東堀留川
・龍閑川
・新川
・真田堀
・浜町川
・六間堀川
・三十間堀川
など、実に多くの河川が姿を消しました。
【戦前の銀座周辺の河川・水路の地図はこちら↓】
http://www.mizu.gr.jp/images/main/kikanshi/no47/08/img04.gif
ずっと、銀座にどうして柳通りがあるのか不思議でしたが、おそらくは昔はあの辺りに川が流れていたことに起因するのでしょうね。
まとめ
というわけで、以上が東京に川がないのに橋の付く地名が多い理由になります。
まとめると
「元々、東京は水の都だったけれど、多くの河川が戦後の瓦礫処理で埋め立てられて姿を消し、地名だけが残った。」
というになります。
戦後のいち早い復興を考慮すると先人の行いを否定は出来ません。
ですが、個人的には水の都・東京の姿も一度は見てみたかったですね。
また、こんな感じな雑学を見つけては紹介していきたいものです。
ではでは、また・・・
by.ひだりゅー
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